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堺雅人主演大河ドラマ【真田丸】主人公真田幸村とは?

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来年2016年のNHK大河ドラマは、真田幸村が主人公の【真田丸】と発表されています。

演じるのは、堺雅人、脚本・原作が三谷幸喜です。

三谷幸喜は、新撰組!以来の大河ドラマとなります。

堺雅人は、新撰組!の山南敬助役、篤姫の徳川家定役に続き、ついに主演真田幸村を演じることとなります。

そこで何回かに分けてNHK大河ドラマ【真田丸】について追っていきます。

今回は、そもそも真田幸村って誰?というところから入ります。

真田幸村とは?どんな人なの?

真田幸村というと、若い方は戦国BASARAのあのイケメンのイメージがあるかと思われます。

真田幸村という名前で広く知られる武将でありますが、生前の資料で【幸村】の名が使われたものは発見されておらず、諱(いみ名)においては【信繁】正しいとされます。

この信繁という名前は、武田信玄の弟であり武将としても優秀であった信繁にあやかったものだとする説があります。

真田幸村の死後50年以上経た1672年(寛文12年)成立の難波戦記という書物に【真田幸村】の名前が初出したと判明している。

その後、講談などで、真田幸村の名前が使われたため、広くその名で知られるようになった。

例えば、真田家を扱った作品を多数残した池波正太郎の作品【真田太平記】(NHKで1985-1986年放送)

こちらにおいても、信繁の名で書き始めたものの、週刊朝日の連載のかなり早い段階で、読者の反響からか【幸村】として書き残している。

そんな真田幸村ですが、父真田昌幸と母山手殿の次男として1567年(一説には1570年)に誕生しています。

兄の信幸(のち信之)は1566年生まれ。
一つ違いとされます。

多くの物語では、兄信之のみ兄弟として出てきますが、姉の村松殿、弟には信勝、昌親がいたとされます。

真田幸村の人生の大半が人質、蟄居生活だった!

真田幸村の生まれてから武田家滅亡寸前まで古府中で人質生活を送っていたものと推測されます。

真田幸村が誕生したころ、真田昌幸は、まだ武藤喜兵衛という名で武田信玄に仕えていました。

当然ながら、古府中で生まれ育っていたと考えるのが妥当でしょう。

その後、武田勝頼の代となり、長篠合戦で父昌之の長兄信綱、次兄昌輝が討ち死。

父昌幸が真田姓に復姓。

父が上州沼田の攻略などで出陣するも、
母山手殿、兄信幸ともども古府中で人質生活を送っていとことを証明する下りが「加沢記」にあります。

(勝頼が昌幸ではなく小山田の策を用いて裏切られた後、なぜか新府で?)
信幸公が勝頼公に召しだされ、
勝頼「昌幸のこたびの忠心は忘れぬ。小山田の言葉を信じたためにこうなってしまうとは、
とうとう神にも見放されたようだ。昌幸は私を甲斐のないものだと思ってるだろう。
どうか、お前の母、弟、一族を無事に逃がしてやってくれ。お前たちの繁栄を祈る」
と杯を賜り、甲州黒という名馬、金作りの太刀を下賜された。
また、勝頼公は若年の落人であれば生け捕りになりかねない、と考え数十人をさいて5,6里送り届けさせた。
これも昌幸公の忠義に感じいったからである。
信幸一行は三月五日新府を引き払い、信濃境に向かっていると、甲州の落人狩りのため盗人百人から二百人が襲ってきた。
当時、信幸十七歳、御弟の藤蔵(信繁)十五歳、源五郎七歳、御姉十八歳、そのほか矢沢、根津、室賀の娘などが同道していた。
信幸公は先陣に進み、その勢男女二百余人で盗人を追い払い、鳥居峠で人馬を休ませた。
このことは盗人に知れ渡ってしまい、信州のスッパ、上州、武州のワッパ千人余りが集まって峠の麓で鬨をあげた。
信幸公の母は百千の雷鳴に勝る鬨を聞き
母「多勢に無勢、しかも度々の戦で我々は手傷を負ってます。潔く自決をしましょう」
と涙ながらにおっしゃったが、信幸公は武勇の大将であるため、怒ってその母親に申し上げた。
信幸「あの程度の烏合の衆、百万騎でも物の数ではありません。ご安心を」
と鎧の上帯を締め直し、十文字の槍を取り、勝頼公より賜りし甲州黒にまたがり、
手勢二百人を五十人、五十人、百人に分け、鬨の声をあげさせた。
盗賊たちは、さては落人ではなく尾張勢であったかと思い、逃げ去っていった。
(その後、無事味方と合流し、信幸一行は戸石城におちつく。)
「加沢記」
現代語訳 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ 真田信幸の脱出より

そしてこの後、武田家が滅亡。半年も経たぬうちに武田家を滅ぼした織田信長と嫡男信忠が明智光秀に討ち取られる。

このとき真田昌幸が臣従していた織田四天王の一人滝川一益が神流川の戦いで北条氏政、氏直親子の軍に破れた。

それもあり、本拠である伊勢に戻るさい、小県、佐久の人質を木曽を通過するために、木曽義昌に引き渡した。

そのなかに父昌幸の生母とともに真田幸村がいたとする確実な資料があると歴史人No.55にあった。

その3ヵ月後、徳川家康が木曽義昌に人時期解放を申し入れ、木曽義昌が了承。真田幸村も解放されたそうです。

その頃、織田信長が横死にした結果、甲斐と信濃が空白地帯となった。

その領地をせめぎ合う徳川、北条、上杉による天正壬午の乱が勃発。

父真田昌幸は、策を巡らし、北条、徳川、上杉と主家を変えつつ、生き残りを図る。

その中で、上州沼田の明け渡し問題で徳川と離反。

上杉と関係を結ぶため、1585年、真田幸村は上杉家へ人質として出される。

このとき徳川軍を撃破した第一次上田合戦が勃発。

この戦に真田幸村が参戦していたのか?
ははっきりと分かっていないようです。

その後、天下取りに邁進する豊臣秀吉との関係構築のため、翌1586年、今度は大阪へ人質として出される。

そして人質生活を送るなかで、大谷吉継の娘、姪?と結婚。

1600年の関ヶ原の戦いに至る会津上杉征伐のさい、犬伏において、父昌幸と兄信幸との三者会談において、妻は徳川家康の養女小松殿(実父は本多忠勝)の信幸は東軍へ、父昌幸と幸村は西軍へ味方することを決断する。

第二次上田合戦で徳川軍にまたも一泡吹かせるも、関ヶ原の戦いで西軍は敗北。

真田信幸、そして妻の実父本多忠勝、昵懇の間柄であった井伊直政の取りなしがあり、父ともども高野山に蟄居することに。

14年あまり蟄居生活後、大阪城入り。

その後はご存じの通り、大坂冬の陣、夏の陣での活躍となります。

まとめ:真田幸村の一生が人質生活と蟄居生活、さてどう【真田丸】を描く、三谷幸喜

ほぼ人生の大半が人質生活か高野山での蟄居生活であった真田幸村。

人質と言っても、牢獄につながれるようなものではなく、緩やかなものであったと想像されますが、波瀾万丈の人生であった父真田昌幸や真田太平記の主人公である兄真田昌幸のように93歳まで生き、戦国時代を知る最後の大名となった人生と比べると、どう描くのか?

非常に難しい面が存在すると言えるでしょう。

葵三代のような描き方にするのか?

それともいきなり蟄居生活あたりから描くのか?

一年間50話となると、相応のボリュームが必要となります。

あとは、真田ものに不可欠な

忍者

真田十勇士として描くのか?

はたまた

真田の忍

として出浦盛清が差配の忍び集団として出てくるのか?

興味は尽きません。

来年の放送を待つ他ありませんが、
戦国ニートが大逆転!

と表現する人もいます。

そんな真田幸村が主人公の【真田丸】

堺雅人の好演と三谷幸喜の脚本に期待します!

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