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【真田丸】祖母とりを演じる草笛光子

真田丸とり、草笛光子

攻め弾正の妻とり 真田家のゴッドマザー

真田丸も第26回【瓜売】を迎え、後半へ突入していきます。

武田家滅亡、織田信長の横死、天正壬午の乱、第一次上田合戦、北条家滅亡とめまぐるしく揺れ動いた戦国末期。

信濃の小豪族。一度は、信濃を追われ、上野へ逃れていた真田家。

その当主真田幸隆(幸綱とも)の妻であり、
真田昌幸の母、真田信之と信繁の祖母である恭雲院。真田丸では、とりの名で、草笛光子が熱演しています。

今回は、真田家を支え続けた恭雲院と演じる草笛光子についてお伝えします。

激動の時代を生き抜いた恭雲院とり

恭雲院(とり)は、真田氏の家老河原隆正の妹。
真田幸隆に嫁ぎ、真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹、金井高勝を産んだとされています。

猛将たる息子たちを育てたことからも、ゴッドマザーの名に恥じない凄い女性と伺えます。

1541年にあった武田信虎、諏訪頼重、村上義清連合軍と対峙した海野平合戦で、真田幸隆は敗北。

上野、箕輪城主・長野業正を頼って逃れています。

この後、息子武田晴信(信玄)によって武田信虎が追放されました。
諸説あるのですが、1548年くらいに武田晴信に臣従。

帰属したことから、府中に人質として出ていたと考えられます。

1582年武田家滅亡後、滝川一益に人質に出され、のち木曽義昌の人質に。
そして、真田昌幸が、徳川家康に臣従するに伴い、徳川家へ人質として出ていました。

1585年ころ、人質を解放され、真田家に戻ったとされ、このあたりは、詳細に真田丸では描かれていました。

没年は、1592年とも1593年とも。
その時期に亡くなったようです。

真田昌幸の母、妻を演じた草笛光子

草笛光子は、大河ドラマの常連であり、今回の真田丸では、大河ドラマ初出演の役者さんが多い中、しっかりとまとめている感があります。
大河ドラマには、昭和50年(1975年)元禄太平記から9作品目の登場となります。

2000年の葵 徳川三代では、豊臣秀吉の正室高台院を、2002年の利家とまつでは、豊臣秀吉の母大政所を演じています。

この草笛光子ですが、真田がらみでは、1998年(平成10年)1月2日にテレビ東京で放映された12時間調ワイドドラマ:家康が最も恐れた男 真田幸村に、幸村、信之の母、寒松院として登場しています。

この家康が最も恐れた男真田幸村においても、真田太平記同様に、丹波哲郎が真田昌幸を演じました。

真田太平記での真田昌幸とひと味違ったことを申し添えます。

話がそれましたが、寒松院を演じた草笛光子が、恭雲院を演じるという点からすると、三谷幸喜またはNHK側の過去の真田幸村に関する作品へのオマージュを感じ入ります。

まとめ

夫である攻め弾正幸隆と流浪の身になりながらも力強く生き、失地回復、武田家信濃衆先方の真田家を盛り立て、息子たちを猛将として育てた恭雲院とり。

長篠の戦いで、非業の死を遂げた真田信綱、昌輝の兄の跡を取り、大名までのし上がった真田昌幸の姿を、恭雲院はどう見ていたのでしょうか。

戦国時代、生死の分ける場面が多々あったなかを生き抜いた真田一族を支えた恭雲院とり。

草笛光子が、とりをどう演じきるか?

本放送を楽しみに待ちましょう。

最後までお読みいただきましてありがとうございます。

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