中田英寿、少年ジャンプへの愛を語る
驚異である。
あの日本サッカー界の至宝中田英寿の秘密が明らかになった。
4月5日放送の「ぼくらの時代」(フジテレビ系列)こちらで三浦知良、前園真聖、中田英寿による対談が行われた。
そのなかで、中田のマンガへの熱い情熱が語られた。
なんとイタリアへ毎週週刊ジャンプはじめ、マガジン、サンデー、ヤンジャン、ヤンマガを送ってもらっていたことが発覚。
30年来、上記5誌を欠かさず読んでいるとのことである。
また、「キャプテン翼」との出会いがなければ、サッカーをやっていなかったとも語っていた。
天才サッカー選手中田英寿もはまり、1995年には653万部発行の漫画雑誌最高発行部数を記録したジャンプについて、少しおさらいしていきます。
少年ジャンプのなりたち
週刊少年ジャンプは1968年7月11日「少年ジャンプ」の名称で8月1日号として創刊。
当初は月2回(第2,第4木曜日)であった。
翌1969年10月から週刊化された。
発売日は毎週火曜日というものの、月曜日から本屋に置いてあったが、2003年5月より正式に月曜日発売となった。
雑誌のキーワードは
友情 努力 勝利
すべての掲載作品のテーマにこの要素につながるものを最低1つ入れることが編集方針である。
例えば、「北斗の拳」であれば、ケンシロウが勝利するまでの努力、そして、義兄弟はじめライバルとの友情と3つの要素が含まれています。
少年漫画誌としては、小学館のサンデー、講談社のマガジンなどの先発組が人気作家を抑えていた関係で、やむなく新人発掘に力を入れることとなる。
また、メディアミックスが得意としており、池沢さとしが描いた「サーキットの狼」によって一大スーパーカーブームが起こり、スーパーカーのショーやテレビ番組放送されるなど社会現象にまでなった。
非常の打ち切り アンケート至上主義
少年ジャンプの最大の特徴は、読者アンケートの結果によって、作品の打ち切りが決まることにある。
何もこれは少年ジャンプだけではなく、雑誌全般において読者アンケートや反響でライターの起用を決める傾向がある。
それを徹底しているのが少年ジャンプと言える。
きっかけは、中島徳博(故人)が「アストロ球団」を連載中に、大御所というだけで人気がないマンガが載っているのはおかしい。アンケートの結果を毎週出すようにして、サバイバルにしろと言ったことが始まるとされている。
この結果として、言い出しっぺの中島徳博自身が打ち切りの憂き目に遭うこととなったり、「聖闘士星矢」などの代表作のある車田正美も打ち切り【未完】の作品がある。
また、アンケートの結果が悪くても打ち切られることがない作品として、30年以上連載が続く「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が挙げられているが、ここには重要なポイントが忘れられている。
一つは、秋本治の筆の早さである。
マンガ家の多くが締め切りギリギリまで仕上がらないところ、秋本治はストックが2,3本つねにあると言われるほど、筆が早い。
そういった編集部的に助かる存在であることが長続きしている理由とも受け取れる。
その過激さゆえ、犠牲者も
「ゴーマニズム宣言」で広く知られる小林よしのりも「東大一直線」を少年ジャンプで描いていた。当時のことを、彼はゴーマニズム宣言のなかで、紹介しているが、過激な競争と締め切りを守るため、立ちながら描いた描写があったことを記憶している。
また、集英社でもドル箱雑誌ゆえ、売上のプレッシャー、そして編集特有の多忙さ、時間の不規則さなどから、集英社入社以来ジャンプ編集部一筋の高橋俊昌編集長が2003年に制作発表会の席上、くも膜下出血を発症、突然死するという悲劇もあった。
そういった多くの犠牲をはらいながらも、多くの読者を魅了し続ける少年ジャンプの編集部とマンガ家には頭の下がる思いである。
まとめ
中田英寿の発言で久しぶりにジャンプを読んでみた。
現在掲載されているのは下記の作品である。
正直、こちら葛飾区亀有公園前派出所」しか読んだことがないので、ついていけない・・・・
おじさんです。(^_^;)
ちなみに一番好きなのは最後のページの作者のコメント。
ここまで読まないと気が済まない子どもでした。
いまもやはり読んでしまいます。
いま、感じることとしては、昔と変わらず、なにか新しいものを作っていこうとする姿勢が素晴らしいものがあります。
子どもたちがプレゼントほしさに出すハガキのアンケート結果がマンガ家の今後を左右するシビアな少年ジャンプ。
そんなこともつゆ知らず、ラジコンが欲しいからとアンケートハガキを送った子どもの頃。
自分のアンケート結果がどれだけ影響があったかは分かりませんが、お客様の声をしかと受け止め続ける週刊少年ジャンプ。
新人発掘のプロ集団ですから、また凄いマンガ家が現れることを期待してまとめとします。
ありがとう!少年ジャンプ!