名優中村梅之助他界、享年85歳
劇団前進座の代表であり、中村梅雀の父である四代目中村梅之助が肺炎でお亡くなりになりました。享年85歳。
謹んでお悔やみ申し上げます。
中村梅之助の足跡と自分の思い出を重ね合わせご紹介します。
大河ドラマ花神主演、時代劇でも多数の主演を演じた中村梅之助
中村梅之助を鮮明に記憶するところとなったのは、1977年の大河ドラマ【花神】で主人公長州藩士大村益次郎を演じたことでした。
日本陸軍の創始者とも言われる大村益次郎を熱演。
暗殺されるまでを毎週日曜日、家族で見ていた記憶があります。
そして、再放送だったのか?毎週の放送で見ていたのか、記憶が曖昧なのが、伝七捕物帳。
こちらは黒門町の伝七を演じ、番組の締めで、
親指と人差し指を叩きながら、
三三七拍子を打ち、最後に
目出てえなぁ
の決めゼリフを言うのが好きでした。
真田太平記では息子梅雀と親子役に
中村梅之助と言えば、やはり真田ものとして外せないのが、
真田太平記の徳川家康役
ドラマ真田太平記では、第一次上田合戦のあとから登場し、大阪の夏の陣あと没するまでを熱演しました。
また、徳川秀忠を実子中村梅雀が演じたことも話題となりました。
中村梅之助が演じた徳川家康は、老獪にして手練手管に長け、甲賀忍びを操り、豊臣秀吉存命中は、ひたすら臣下の礼を尽くす。
それが、豊臣秀吉死後は、一転、天下取りに向け、手段を選ばずという難しい役柄を見事演じきりました。
多くの名場面があるのですが、一番のお気に入りは、関ヶ原の戦い後、西軍についた諸侯に対する処罰を決めるさいに、
加藤武演じる本多平八郎忠勝が、義理の息子である真田伊豆守信幸を同行し、真田昌幸、幸村親子の助命嘆願をするシーンです。
真田親子には切腹を言い渡すと言い切る徳川家康に対し、父と弟と決別し、徳川家へ忠誠を誓った真田信幸の忠義から赦しを得たいというやり取りを加藤武と火花散らす演技は、真田太平記の名場面でもあります。
真田側からみれば、最大にして巨大な敵であった徳川家康をみごとなまでに演じ、真田太平記を大いに盛り上げました。
真田太平記ファンも寂しいでしょうが、一番寂しいのは、当然ながら、中村梅雀はじめご家族でしょう。
みごとの役者さんが一人また去りました。
願わくば、天国で真田昌幸役の丹波哲郎、本多忠勝役の加藤武らと一献交わしていてもらいたいものです。
本当に素晴らしい役者さんでした。
中村梅之助、今まで最高の演技をありがとうございました。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。