アイドル岡田有希子の死から30年目
1986年4月8日。
その日、高校3年となった自分は始業式だった。
記憶が定かではないが、ヤングジャンプかヤングマガジンに掲載されていた花のイマージュの広告記事を切り出し、部室のロッカーへ貼り付けた。
いいじゃん、この岡田有希子の写真。
なんて起こっている事態などまったく知らずに。
そしてことは急展開。
クラブの練習をしていたところ、野球部の1学年下のO君が、「岡田有希子、自殺したってテレビでやってました!」
驚愕である。
14時か15時代のテレビのワイドショーで、本当であったことを知った。
自分自身、とても好きなアイドルだっただけに、いまだ心に引っかかるものがあるのが事実である。
正直に言えば、いまだ直視できない事実の一つでもある。
そうは言うものの、岡田有希子が天に召されてから30年の節目にあたり、その場所へ向かい、自分なりの供養に向かいました。
それについて少しお話申し上げます。
大勢のファンが供養のために集合
岡田有希子が天に召されたとされる12時20分ににその場所に到着した。
岡田有希子が所属していたサンミュージックのスタッフが、現場を仕切るほどに、多くのファン、テレビカメラも来ていた。
そこには彼女写真、ファンが手向けた花が置かれていた。
毎年、来られている方も多くいるようで、岡田有希子が与えた影響を強く感じ入った。
岡田有希子の死を巡っては、多くの憶測が飛び交い、ある部分ではご家族におかれては、心労が多かったことと推測されます。
今ほど個人情報に関して厳しい決まりもなかった上に、報知の記者が飛び降りした彼女の写真を撮影するというショッキングなこともありました。
そんなことが走馬燈のように思い出された現場でした。
岡田有希子は永遠である
岡田有希子が、この世に存在しないという事実は揺るぎのないところです。
しかしながら、自分をはじめファンが、岡田有希子を思い続ける限り、彼女は永遠に生き続けると思いたい。
これは数学者であり作家である藤原定彦が述べていたことなのですが、父である新田次郎を語り続ける限り、父は生き続けると。
五木寛之との対談で語っていたのですが、それを聞いて得心した次第です。
思えば、岡田有希子だけでなく、友にも夭逝された者もいます。
会って話すことは叶いませんが、自分が思い続ける限り、生き続けます。
そう思っております。
本当に愛くるしい笑顔が素敵だった岡田有希子。
何かあれば彼女を思い出し、岡田有希子という、KK世代(1967年生まれ)最強のアイドルだったことを思い、彼女のご冥福を改めてお祈りします。
岡田有希子、ありがとう!
永遠のアイドル岡田有希子!
最後までお読みいただきましてありがとうございます。