真田太平記に続き榎木孝明も真田丸に出演を果たす
1月10日ついに真田丸が放送されました。
ドラマ真田太平記ファンにとっては、いきなる胸アツなシーンがきました。
真田太平記では、真田幸村を演じた草刈正雄の真田昌幸と、信幸と幸村の従弟の樋口角兵衛を演じた榎木孝明の穴山梅雪との絡みは、真田ファンにとっては、感慨深いシーンだったのではないでしょうか。
真田太平記では、狂った樋口角兵衛を見事快演した榎木孝明とは?
そして演じる穴山梅雪とは?
今回は、榎木孝明と演じる穴山梅雪についてご紹介します。
榎木孝明、薩摩示現流の使い手、不食でも話題に
榎木孝明と言えば、昨年、不食で話題となりました。
話題ばかり先行しましたが、これまでの榎木孝明の行動からすれば、自然な流れだったのかもしれません。
薩摩示現流の使い手でもあり、絵画でも優れた才能を発揮されています。
榎木孝明美術館が、北海道、大分、鹿児島にあります。
多芸多才なのが榎木孝明と言えます。
大河ドラマは歴は凄いものがあります。
- 榎木孝明の大河ドラマ歴
重要な役を経験していることもあり、今回も武田家滅亡の一端となった見限りを果たす穴山梅雪役を重厚に演じています。
武田家滅亡、そして本能寺の変、そこから横死するという波乱の人生をどう演じ切るんでしょうか?
楽しみでなりません。
武田家御一門衆穴山梅雪(信君)とは
穴山梅雪は、1541年、穴山信友の嫡男として生まれる。
穴山氏は武田氏の御一門衆に属し、河内地方(現在の南巨摩郡、西八代郡)を領していた。
母は武田信虎の娘であり、妻は見性院(武田信玄の次女)と非常に武田本家と密接な関係にあった。
武田二十四将にも数えられる武将ながら、武田家の命運を分けた長篠の戦いおいて、戦線離脱することによって敗戦を決定づけたともされ、猛将高坂昌信が切腹させるべきと武田勝頼に進言したというエピソードもあります。
武田家の不幸の一つが、父武田信玄に仕えていた老臣たちと、武田勝頼の寵臣たちとの確執があったことです。
長坂長閑、跡部勝資らを憎んでいたことが、織田、徳川へ寝返った理由だとする説があります。
また、武田家とは臣下の関係でなく、武田、穴山、小山田は、同盟関係であったとする説もある。
そういったことから穴山が生き残るための措置を取ったとも言えます。
ただ、武田信玄があまりにも巨大かつ著名なため裏切り者と思われている方も多いところです。
まとめ
真田丸において非常に重要な役回りの穴山梅雪。
それを演じるは、榎木孝明。
その穴山梅雪の妻であり、武田信玄の娘であった見性院は、その後、徳川家康の庇護のもと、徳川秀忠の猶子保科正之の養母となりました。
真田丸の始まりにコントラストを醸し出す穴山梅雪。
このあと榎木孝明はどう演じきるのか?
ドラマの進行ともども楽しみましょう。
最後に。
見性院の墓です。
JR武蔵野線東浦和駅近くにあります。
見性院は、真田丸をどう見ているんでしょうか?
最後までお読みいただきましてありがとうございます。