畠山和洋のFA宣言なしの残留の一報
ヤクルトの4番であり、2015年のセ・リーグの打点王である畠山和洋。
国内FA権取得、FA宣言をするのでは?
という噂がありました。
ところが、本日の日刊スポーツ紙上の一報によると、FA宣言なしの残留する方向であることが伝えられた。
畠山決断FA大物1号は残留表明「ヤクルトが一番」
http://www.nikkansports.com/baseball/news/1560671.html
新人の頃、西の栗原健太、東の畠山和洋と称され、将来の4番候補であった。
紆余曲折を経て、ヤクルトの4番に君臨する畠山和洋。
その畠山和洋のルーキーシーズン、ファームのゲームで観戦していた小生。
その小生なりに、今回のヤクルト残留について思うところを述べたい。
打棒は新人の頃が凄かった畠山和洋が守備が、、
畠山和洋は、2000年のドラフトで専大北上高校から5位指名でヤクルトに入団した。
ちなみにこの年のヤクルトは、1位から、平本学、鎌田祐哉、坂元弥太郎、松谷秀幸、そして畠山和洋の指名であった。
上位4人はすでに引退。松谷秀幸は引退後、競輪界に転身。現在、S級1班という競輪のトップクラスで活躍している。
他球団を見渡しても、同年入団で活躍しているのは、巨人の阿部慎之助(中央大)、横浜からソフトバンクへ移籍した内川聖一(大分工)くらいである。
長きにわたり活躍することが、いかに難しいかの証左であります。
その畠山和洋ですが、ファームでは、ルーキーイヤーからスタメン三塁を任されていました。当時の二軍監督は小川淳司現シニアディレクター。
新人らしからぬバッティングから、ヤクルトの二軍の主力をになっていました。
ただし、バッティングは凄いものの、あの体型から想像されるように足は速い方ではない。
そして一番の問題は守備。
プロは打球が速いので、守備範囲が限定されるのはやむを得ない面もあるものの、ザル同然のエラーは当たり前。
エラーのつかない守備のまずさもあり、守れないからなかなか一軍へ定着できない状況が続きました。
その畠山和洋も1年目から二軍といえど、試合に出場できたことから、プロ野球を舐めたところがあり、酒を浴びるように飲んだり、パチンコに興じたりしていた。
しかも、当時、ヤクルトの三塁は岩村明憲がおり、レギュラー獲得は非常に難しいものがありました。
一塁には、外国人が入ることが多くレギュラー奪取は極めて厳しいものがありました。
そんな中、小川淳司二軍監督はじめ、二軍スタッフが根気強く指導し続けた結果、8年あまりの時間を要して一軍の主力に定着した。
8年です。
他の球団なら、8年我慢したでしょうか?
我慢しなかったでしょうね、きっと。
クビでしょう、他球団なら。
西の栗原健太と称された広島の栗原健太は、5年目から主力として一軍で活躍していたことからみても、高卒野手は5年目、つまりは大卒入団の年までには形にならないとダメなところを8年。
大卒から社会人経由でも6年ですから、8年がどれだけの年数かがよく分かるものです。
そこまで辛抱してくれた球団に残ることを決意したことに対して、ルーキー時代から戸田球場はじめファームのゲームを追いかけていた私を含め、目撃者は喜びというか安堵の心境でしょう。
畠山和洋本人も、いろいろ熟慮の結果なんでしょう。
一番不安に思っているのは、守備でしょう、やはり。
他チームへFA移籍しても、守備に難があるため、セ・リーグのチームが屈指を動かす可能性は低い。
パ・リーグならDHがあるものの、DHにはDHの難しさがあることも一因と思えます。
まとめ
まだ正式な発表もないものの、畠山和洋残留を一番喜んでいるのは小川淳司シニアディレクターではないでしょうか。
辛抱して育てた愛弟子が残留。
そして来季も主軸としてヤクルト打線を支える。
こんなうれしいことはないでしょう。
畠山和洋も、ヤクルトでは年長のグループに属します。
若手のお手本となるようプレーで、グランド外でも、見せてもらいたいものです。
来シーズンも山田哲人、高井雄平らとヤクルト打線の主軸として活躍することで、FA残留したことが正解であったことを証明してもらいたいものです。
畠山和洋の来シーズンの活躍、そして正式発表を待ちましょう。
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