岡野俊一郎氏と三菱ダイヤモンドサッカー
日本サッカー界の偉人であり、元日本サッカー協会第9代会長岡野俊一郎氏が、2月2日、都内病院にて死去されました。
たぶん40代後半以上の世代にとって、世界のサッカーを知るきっかけは、東京12チャンネル(テレビ東京)で放映されていた三菱ダイヤモンドサッカーだったのではないでしょうか。
かく言う、自分もその一人です。
自分の記憶では、小学3年生の時(1977年)にサッカー少年団に入団したさいに、S監督から、東京12チャンネルで放映されている三菱ダイヤモンドサッカーを必ず見るようにと言われたのが始まりでした。
記憶が曖昧なのですが、ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンのゲームが最初に観戦したように記憶しています。
金子勝彦アナウンサーの
「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがですか。三菱ダイヤモンドサッカーの時間です」
の名調子で始まる番組は、今では想像がつかないかもしれませんが、前後半を2週で放映するというスタイル。
それでも当時、海外のサッカーを知りうることができるのは、三菱ダイヤモンドサッカーか雑誌のサッカーマガジン、イレブン(廃刊)くらいのものでした。
そういったことから、サッカーをやる人間にとってはバイブル的な番組でした。
放送の中心は、現プレミアリーグのイングランド1部、西ドイツ:ブンデスリーガが多かったと記憶しています。
とくに、1FCケルンに奥寺康彦が移籍したことから、奥寺康彦が在籍した1FCケルン、ブレーダ・ブレーメンの放送はとてもたのしみでありました。
その岡野俊一郎氏の功績は、サッカー界のみならず、IOC理事として活躍したことからも日本のスポーツすべてにあると言っても過言ではありません。
岡野俊一郎氏は、スポーツ業界にあって珍しい東京大学出身という立場もあってか、政財界にもコネクションが多くあり、情報収集という部分、ネゴシエーションというところでも表に裏に活躍されていました。
そういったところで、岡野俊一郎的には、単独開催ができず悔しい思いをしたでしょうが、2002年の日韓ワールドカップの誘致成功など、数々の業績を残されました。
一方で、自分含めサッカーに携わったことのある人間にとっては、岡野俊一郎がテッド・クラマー師はじめ、海外の指導者から学んだことを分かりやすく説明してくれたことが一番の功績だと自分は解釈していますう。
3B
この言葉、フレーズを見て、すっと思い出す方も多いでしょう。
- Ball controll
- Brain
- Body balance
サッカー選手に一番重要な3大要素。
ボールコントロール、ブレイン(考える力、判断能力)、ボディバランス(身体能力)
が重要であることを、切に訴えていたことを記憶しています。
岡野俊一郎が、3Bだけでなくサッカーは世界の一のスポーツであることを、訴え続けたことが、のちに、やはり先日、死去した木之元興三氏、川淵三郎氏によるJリーグ発足の礎となり、今日のサッカー界の発展に繋がっていると確信しています。
岡野俊一郎と金子勝彦アナコンビは永遠
長嶋茂雄の名セリフ
「巨人軍は永久に不滅です」
ではないですが、
岡野俊一郎の名解説と金子勝彦アナウンサーの名調子を超えるコンビは、残念ながらないと断言します。
知性あふれる岡野俊一郎の解説。
金子勝彦アナウンサーの的確な描写。
これは簡単に乗り越えられるものではないでしょう。
逆に言えば、それを超えるコンビが出てきたときに、サッカー日本代表が、ワールドカップで優勝するときかもしれません。
それぐらいに大きな存在でした。
岡野俊一郎氏の死を悼み、名コンビの相棒であった金子勝彦アナからもコメントが発表されています。
「岡野氏は人生の師」ダイヤモンドサッカー金子アナ
http://www.nikkansports.com/soccer/news/1774239.html
また、日本サッカー協会からも発表、コメントが寄せられています。
日本サッカー協会:岡野俊一郎相談役 逝去のお知らせ
http://www.jfa.jp/news/00012500/
岡野俊一郎という偉大な人が、天に召されました。
日本サッカー界も、ロシアワールドカップに出場できるのか?
厳しい戦いが続きますが、岡野俊一郎氏に天国で喜んでもらうためにも、是が非でも出場を勝ち取りたいところです。
最後になりましたが、岡野俊一郎、サッカーを教えて下さってありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。